松山城天守紋章は三つ葉葵

三つ葉葵の写真です。

松山城の天守の紋章は、「三つ葉葵」です。

松山城の天守の紋章は、江戸幕府の将軍であった徳川家とゆかりのある「三つ葉葵」です。
天守閣で観光客の皆さんの話を聞いていると、何故、松山なのに「三つ葉葵」なのか不思議がっている方が、たくさんいらっしゃいます。
「松山城天守紋章は三つ葉葵」の続きを読む…

松山城主の移り変わり

松山城の写真です。クリックすると拡大します。

松山城の歴史を知る上で、松山城主の移り変わりも気になるところであります。

松山城築城開始よりの、松山城主の移り変わりを表記します。

松山城築城開始よりの、松山城主の移り変わり年表

西 暦 城 主 名 居 城 年(年数) 摘要
1603 加藤 嘉明
(禄高20万石)
慶長8年(25) 慶長6年築城許可、同7(1602)年着工し、同8年正木城より移る。天守五重。寛永4年会津40万石に転封。
1627 蒲生 忠知
(禄高24万石)
寛永4年(7) 蒲生氏郷の孫、出羽上の山城より移封。二之丸完成。寛永11年逝去、嗣子なく断絶。
1635 松平 定行
(禄高15万石)
寛永12年(24) 寛永12年伊勢桑名より転封。徳川家康の異父同母弟松平定勝の子、寛永19年天守を三重に改築。
1658 松平  定頼 万治元年(5)
1662 松平  定長 寛文2年(13)
1674 松平  定直 延宝2年(47) 今治藩主松平定時の子、延宝2年就封。
1720 松平  定英 享保5年(14)
1733 松平  定喬 享保18年(31)
1763 松平  定功 宝歴13年(3)
1765 松平  定静 明和2年(15)
1779 松平  定国 安永8年(26) 天明4年天守への落雷で焼失。
1804 松平  定則 文化元年(6)
1809 松平  定通 文化6年(27) 文政3年天守再建工事にかかる。
1835 松平  勝善 天保6年(22) 安政元年天守再建なる(現存)。
1856 松平  勝成 安政3年(13)  
1867 松平  定昭 慶応3年(1)
1868 松平  勝成
 (再任)
明治1年(2) 松平姓を返上し旧姓の久松となる。
1869 明治2年 版籍奉還明治3年三之丸全焼、同5年二之丸焼失。
1923 大正12年 久松定謨伯より城郭を寄贈され松山市の所有になる。
1933 昭和8年 小天守・南北隅櫓・多聞櫓放火のため焼失。
1945 昭和20年 乾門など戦災のため焼失。
1958 昭和33年 馬具櫓を鉄筋で復興。
1968 昭和43年 小天守・南北隅櫓・多聞櫓・十間廊下を木造で復興。
1971 昭和46年 筒井門を木造で復興。
1972 昭和47年 太鼓門を木造で復興。
1973 昭和48年 太鼓櫓を木造で復興。
1979 昭和54年 天神櫓を木造で復興
1982 昭和57年 乾門同東続櫓を木造で復興
1984 昭和59年 艮門同東続櫓を木造で復興
1986 昭和61年 巽櫓を木造で復興
1990 平成2年 太鼓門西塀を復興
2006 平成18年 天守など7棟保存修理工事完了