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十四代目・松平勝善の時代

松山城天守閣の写真です。クリックすると拡大します。

十四代目・松平定穀

天保6年(1835年)6月に、松平定通が逝去したため、後を継いだのは、松平定穀(さだよし)であります。松平定穀はその後、35~36歳のころに勝善と改名しますので、松平勝善の名前の方が有名かもしれません。

実は、この勝善も養嗣子(養子)でありました。しかも、当時の薩摩藩藩主の十一男として誕生していたのでした。資料によると、松平隠岐守家と松平薩摩守家とは初代定行公以来、縁戚家(親戚)であったようです。

勝善が藩主になったのは18歳の時です。今の18歳といえば、まだまだ未成年ですが、当時はどうだったのでしょうか?。この頃の他の藩の跡継ぎの年齢をみても、20歳以下は多いようです。なんか不思議な感覚です。

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