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十一代目・松平定国の時代

松山城、本丸本壇の写真です。クリックすると拡大します。

十一代目藩主、松平定国

十代目藩主松平定静が、安永8年(1779年)に卒去した後、十一代目藩主となったのは、松平定国でした。

松平定国も養嗣子でしたが、定国は、松山藩の本家筋ではありませんでした。

定国は、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の次男として生まれた田安宗武(たやす・むねたけ)の六男でした。

つまり、徳川吉宗の孫にあたります。定国という名前は、養父となる松平定静が与えた名前でした。

実は定国のすぐ下の弟(田安宗武の七男)が、一時期は江戸幕府第11代将軍候補でもあった松平定信でした。

松平定信と言えば、将軍職は逃しましたが、老中となって行った寛政の大改革が有名です。

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