十一代目・松平定国の時代
十一代目藩主、松平定国
十代目藩主松平定静が、安永8年(1779年)に卒去した後、十一代目藩主となったのは、松平定国でした。
松平定国も養嗣子でしたが、定国は、松山藩の本家筋ではありませんでした。
定国は、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の次男として生まれた田安宗武(たやす・むねたけ)の六男でした。
つまり、徳川吉宗の孫にあたります。定国という名前は、養父となる松平定静が与えた名前でした。
実は定国のすぐ下の弟(田安宗武の七男)が、一時期は江戸幕府第11代将軍候補でもあった松平定信でした。
松平定信と言えば、将軍職は逃しましたが、老中となって行った寛政の大改革が有名です。
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2012/01/30 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:十一代目、松平定国
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