松山城在番時代の歴史
蒲生忠知の逝去
蒲生忠知の逝去(せいきょ:他人を敬ってその死をいう)については、寛永11年(1634)8月に参勤交代の途中、京都で病気にかかり、わずか30歳で逝去したという記録がある。
この折、蒲生忠知のに嗣子(しし:家を継ぐ子供)がなかったので、急遽、蒲生家は松山藩主として松山城に在城すること7年8カ月でお家断絶となってしまいました。
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2012/01/06 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:二代目と三代目の狭間
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