松山城登城リフト
天気の良い日は、松山城登城はリフトでのんびりと
松山城の登城(登り)
松山城行きロープウェイ乗り場から、リフトが出ています。
お天気の良い日には、是非、リフトのご利用をお勧めします。
リフトが登り始めると、すぐに眼下に、歩いて登城する事のできる東雲(しののめ)口登山道が見えます。その後、左手には、松山の市街がかすかに見えます。
右手は、松山では、文京町と呼ばれている地域で、愛媛大学・松山大学・愛媛県立松山北高等学校などが並んでいます。
天気の良い日の午後には、野球部の練習の声やバッテイングの音が、よく響いて聞こえています。
松山城の登城(下り)
このリフトを下る時、左手遠くに、らくだのコブのような山が見えます。左のコブには鉄塔が立っています。
この山は、名前を御幸寺山(みゆきじさん)といい、頂上付近には城北公園という公園がありますが、実は、この山は、松山城の場所を決める時に候補地として選定された山のうちの一つです。
いまから約400年ほど前、築城主である加藤嘉明は、候補地として、現在の松山城がある、「勝山」、今紹介した、勝山の北側にある「美幸寺山」、そして、勝山の南にある、かなり低い山である「天山」の3つを候補地として徳川家にお伺いを立てたと言う伝説があります。
この3つの山の中では、いま松山城がある「勝山」が一番りっぱであること・・・、地名も「勝山」だということ・・・、お城を作るのであれば・・・今の山で当然のような気もしますが・・・、松山城が他の山にある姿を想像すると・・・何か、変な気分になります。」
話は、それましたが、リフトは、5~6分の時間です、風も気持ち良いので、天気の良い日には是非、お試しください。
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2011/11/29 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:秋の松山城登城道
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