4黒門口登城道下りを体験
松山城、大手門跡より二之丸公園への下り
今日は大手門跡から黒門口登城道を下り始めます。
この黒門口登城道は、四登城道の中で一番急な坂道です。
この黒門口登城道での一番の楽しみは、登城道左下に見える登り石垣の散策です。
坂道を下っていると、最初のうち、ところどころに右曲りの急な曲がり角があります。
そこを曲がらずに林に入ってゆきます・・・。
すると、所どころで松山城の登り石垣を見ることが出来ます。
ついつい、そこを伝って下まで降りてみたい衝動に駆られます。
いつか、やってしまいそうです。
黒門口登城道と登り石垣
黒門口登城道より時折見える登り石垣は、丁度、黒門口登城道と県庁裏登城道の間に挟まれたようになっています。
この石垣が松山城の麓にある二之丸より、頂上にある本丸まで続いています。
今でこそ、松山城のある「勝山」は、林でおおいつくされていますが、松山城築城当時は、林に包まれていなかったという話が有力です。
当然、お城ですから、敵が攻めてきてもすぐに見えるように、隠れ場所となる林などは、無いのが当然と言えば当然ですが・・・。
ですから、当時は、この立派な登り石垣が山の麓からよく見えたはずです。
全体が見えたら、かなりっぱな登り石垣であろうと思います。
黒門口登城道
黒門口登城道は、二ノ丸と本丸を結ぶ連絡道でした。
今から約四百年前・・・、私と同じように、一日に何人もの人が、この登城道を登ったり降りたりしたことでしょう。
その当時は、こんなに林でなかったという事は、下る時は、松山城の南側の風景が丸見えだったはずです。
今は林のせいで、あまり見えませんが、当時、この登城道から見えた景色はどんなったのでしょう。
やはり、畑だらけだったのでしょうか?
もし、今の景色を、昔の人が見たら、びっくり仰天でしょうねー。
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2012/01/20 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:四登城道制覇を体験
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