重要堅固な筒井門隠門続櫓
筒井門および隠門続櫓のご紹介
筒井門および隠門続櫓は、戸無門と連携して、本丸正面の固めとして松山城中で最も重要堅固な所にある門と櫓です。
筒井門は、松山城で一番大きな門であり、松山城築城の際、松前城にあったものを移建されたと伝えられており、城内最古の建物でありました。
これらの櫓門が焼失する前には、東と西に続櫓があり、鉄砲狭間、矢狭間、石落しが設けられ、隠門続櫓から侵入者の側方を射撃する仕組みとなっており、侵入者が容易に戸無門から内側に侵入できないようになっていたようです。
そのような仕組みから、戸無門に門が無くても侵入者が門から内側に侵入できないように守りを固めていました。
筒井門の右手奥にある隠門・隠門続櫓は築城当時、筒井門が移建されてから建築されたもので、城内構造物上最古の、乾櫓・野原櫓に次ぐ重要な遺構であります。
隠門および隠門続櫓
隠門および隠門続櫓は筒井門の脇門であります。
また、隠門は、重要文化財に指定されています。
隠門は規模は小さいのですが木割(各々の部材の寸法)が大きく、豪放な構造は築城当時の面影を伺うことができます。
また、その外部の造りや窓の形などは、古い城郭建築の面影を伝えるものとなっています。
隠門および隠門続櫓は、筒井門を側防する重要な構造物であります。
隠門のもう一つの役割
隠門およびに隠門続櫓は筒井門を守る役目以外にも、ある役割がありました。
もし、筒井門が寄手(攻め寄せる側の軍勢)に攻め落とされ、次の仕切りである太鼓門にせまることがある場合、隠門に隠れていた城兵が筒井門の正面に廻り、寄手の後方から突撃が出来るようになっていました。
このような巧妙な構えは、戦国時代の武将が、実践の経験から見出したものであろうと考えられています。
隠れ門を裏側から見ると、城兵が隠れる事が出来る程度の溝があるのがわかります。
松山城「筒井門」および「隠門続き櫓」の場所の地図
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2012/01/02 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:松山城体験隊
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