黒門口登城口~大手門跡
今日は、黒門口登城道を歩いて登ります。
黒門口登城道は、松山城二ノ丸庭園の左手より登り始める登城道です。
黒門口登城道の登り口付近の立派な石垣
黒門口登城道の登城口付近は立派な石垣で囲まれています。
この石垣は、松山城二ノ丸から頂上にある本丸まで続く、登り石垣の一部分です。
その石垣の中を縫うような形で、案内をたどり歩いてゆくと、登城道の登り口に着きます。
この登り口より山中に入り、登城してゆきます。
黒門口登城道の歴史
黒門口登城道は慶長年間(1610頃)に建造された、松山城二ノ丸から本丸への通路であったと考えられています。
それが、明治17年頃、登り口付近が兵舎となったため封鎖されていたようです。
封鎖後は、人が通ることもなく、登城道は荒廃し、雑草雑木が生い茂っていたようですが、昭和44年の春(3月22日)に改修を完了し、再び登城道として利用され始めたそうです。
黒門口登城道は少し急な坂道
黒門口登城道は、4つある登城道の内、最も短い距離で本末にたどりつける登城道である気がします。
しかし、それゆえに、最も急な坂道となっています。
黒門口登城道の良い所といえば、登り坂を登って行き、大手門跡に近ずいてきた頃、見え始める石垣たちの様子を眺められることです。
森を抜けて、お城に到着・・・みたいな感じが得られるので、私は、黒門口登城道も大好きです。
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2011/12/30 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:松山城体験隊
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