県庁裏登城口~長者が平
松山城県庁裏登城道
県庁裏登城道は、現在でもかなり多くの人に利用されている登城道です。
平日のお昼休みは、散歩をしている人でいっぱい
県庁裏登城道が、他の3本の登城道と大きく違うところは、平日のお昼休みに散歩の人で賑わうところです。
多分、愛媛県庁に勤められている方が多いと思うのですが、12:30頃より何十人もの人が一斉に松山城の」本丸を目指して登り始めます。
一番多い格好は、背広のズボンに白いワイシャツを着て、中には、県庁のネームプレート(社員証みたいなもの)を、したままの人もいます。
お昼休みに、食後の運動をされているのでしょう。・・・何故か・・・散歩されているみなさんを見ていると、私は和やかな気分になります。
なんか・・・微笑ましいです。
みなさん、ダイエットや成人病予防の為でしょうか・・・がんばれ!(笑)
松山城県庁裏登城道の「登り石垣」
私が、県庁裏登城道を登っていて好きな場所は、登城道の丁度真ん中あたりにあります。
登城道が、S字カーブをしているところなのですが、ここで、登りながらで説明すると、左手方向に、松山城二の丸と本丸をつないでいた、「登り石垣」が見えます。
この登城道を登るときは、いつもここで寄り道をしてしまいます。
道をはずれて山に入り、「登り石垣」に沿って、少し歩いてみるのです。
松山城の「登り石垣」全体を確認することはできませんが、もし、林がなければ、県庁裏登城道登り口あたりから、本丸の石垣までの約250mくらいの間の石垣が続いているはずです。
松山城県庁裏登城道を登り、黒門口登城道を下ってみると、ところどころで、2つの登城道に挟まれた、「登り石垣」が見えます。
この石垣を、どうやって作ったのだろう?などと考えながら・・・歩くと楽しいです。
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2011/11/16 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:松山城体験隊
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