松山城の築城までの経緯

松山城

加藤嘉明と伊予国との関係が始まるまで

加藤嘉明は、武将派の大名として戦績を上げ、松山城の築城を開始するまで、一気に階段を駆け上がりました。現在では想像つかないのですが、その若さと、出世の速さを比べてみると、意外に年齢が若いのにびっくりします。

では、ちょっと、加藤嘉明の松山城築城前からの出世のスピードを見てみましょう。まず、大きな出世の始まりは、秀吉の配下での文禄の役の戦功によるものでした。これは、秀吉が朝鮮へ出兵した文禄元年(1592年)の出来事ですが、嘉明が29歳の時の出来事です。

この戦いの戦功により、嘉明は、伊予国正木(松前)城主6万石に封ぜられたのでした。そして、文禄4年(1595年)32歳の時に、嘉明は家臣をつれて、淡路国志智城から伊予国正木(松前)城に入城しました。これが、伊予国と嘉明との関係の始まりでした。
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