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十五代目・松平勝成の時代

松山城戸無門

十五代目・松平勝成

松山城復興事業の完成を見届けたのち、安政3年(1856年)に卒去した松平勝善の後を受け、松山藩主を継いだのは、松平勝成(まつだいら かつしげ)でした。この勝成の時代より、松山藩は来る明治維新へ向けての急な坂を下り始めます。

しかも、その坂道は、歴史上かってないような急な坂道です。勝成が松山藩主になってから、わずか11年後の慶応3年(1867年)には大政奉還がなされ、翌年はもう明治元年に当たります。藩主になった勝成はこのような時代の流れに気付いていたのでしょうか?

勝成が藩主になった安政3年(1856年)は、アメリカの総領事ハリスが下田に来た年です。この3年前の嘉永6年(1853)年が、教科書でも習った、黒船来航の年です。アメリカの使節ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船が、日本に来航しました。

いっぱんに黒船来航から明治元年までを幕末と言うので、松平勝成はまさに幕末における松山藩主であります。

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