十一代目・松平定国の時代
十一代目藩主、松平定国
十代目藩主松平定静が、安永8年(1779年)に卒去した後、十一代目藩主となったのは、松平定国でした。
松平定国も養嗣子でしたが、定国は、松山藩の本家筋ではありませんでした。
定国は、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の次男として生まれた田安宗武(たやす・むねたけ)の六男でした。
つまり、徳川吉宗の孫にあたります。定国という名前は、養父となる松平定静が与えた名前でした。
実は定国のすぐ下の弟(田安宗武の七男)が、一時期は江戸幕府第11代将軍候補でもあった松平定信でした。
松平定信と言えば、将軍職は逃しましたが、老中となって行った寛政の大改革が有名です。
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2012/01/30 | コメント/トラックバック(0) |
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十代目・松平定静の時代
十代目藩主、松平定静
明和2年(1765年)に松平定喬の跡を継ぎ、松山藩の10代目藩主になったのは、松平定静(まつだいら さだきよ)です。
この定静は、実は松山藩の7代目藩主、松平定英の弟の息子になります。
つまり、本家筋ではないのですが、本家の、松山藩9代目藩主、定功公が危篤となったため、定功公の願いとして、定静を本家の養子として迎え入れたのです。
定功公の願いのとおり松山藩15万石の相続を引き継いだのが、定静です。
こうして、本家によって、松山藩の藩主が受け継がれてゆくのです。
この、「本家」という発想は、この時代はものすごく強いです。
今の時代は、かなり、薄くなってきたのでしょうが、つい最近まで、「本家」という言葉はよく耳にしていました。
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2012/01/29 | コメント/トラックバック(0) |
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九代目、松平定功の歴史
九代目藩主、松平定功
松平定喬の後、宝歴13年(1763年)に9代目の松山藩主になったのは、松平 定功(まつだいら さだかつ)(さだなり)でした。
定功は、7代目松山藩主松平定英の二男です。
父である、定英の後を、長男と次男が順番に継いだ事になります。
そして、定功が松山藩主になるとき、兄の松平定喬の養嗣となっています。
このことから、7代目松山藩主松平定英の家督を継承し松山藩主になったのは、長男の家系である松平定喬家一族であったことが伺えます。
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2012/01/28 | コメント/トラックバック(2) |
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