十一代目・松平定国の時代

松山城、本丸本壇の写真です。クリックすると拡大します。

十一代目藩主、松平定国

十代目藩主松平定静が、安永8年(1779年)に卒去した後、十一代目藩主となったのは、松平定国でした。

松平定国も養嗣子でしたが、定国は、松山藩の本家筋ではありませんでした。

定国は、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の次男として生まれた田安宗武(たやす・むねたけ)の六男でした。

つまり、徳川吉宗の孫にあたります。定国という名前は、養父となる松平定静が与えた名前でした。

実は定国のすぐ下の弟(田安宗武の七男)が、一時期は江戸幕府第11代将軍候補でもあった松平定信でした。

松平定信と言えば、将軍職は逃しましたが、老中となって行った寛政の大改革が有名です。

「十一代目・松平定国の時代」の続きを読む…

十代目・松平定静の時代

松山城、天守閣の写真です。クリックすると拡大します。

十代目藩主、松平定静

明和2年(1765年)に松平定喬の跡を継ぎ、松山藩の10代目藩主になったのは、松平定静(まつだいら さだきよ)です。

この定静は、実は松山藩の7代目藩主、松平定英の弟の息子になります。

つまり、本家筋ではないのですが、本家の、松山藩9代目藩主、定功公が危篤となったため、定功公の願いとして、定静を本家の養子として迎え入れたのです。

定功公の願いのとおり松山藩15万石の相続を引き継いだのが、定静です。

こうして、本家によって、松山藩の藩主が受け継がれてゆくのです。

この、「本家」という発想は、この時代はものすごく強いです。

今の時代は、かなり、薄くなってきたのでしょうが、つい最近まで、「本家」という言葉はよく耳にしていました。

「十代目・松平定静の時代」の続きを読む…

九代目、松平定功の歴史

東雲神社の写真です。クリックすると拡大します。

九代目藩主、松平定功

 

松平定喬の後、宝歴13年(1763年)に9代目の松山藩主になったのは、松平 定功(まつだいら さだかつ)(さだなり)でした。

定功は、7代目松山藩主松平定英の二男です。

父である、定英の後を、長男と次男が順番に継いだ事になります。

そして、定功が松山藩主になるとき、兄の松平定喬の養嗣となっています。

このことから、7代目松山藩主松平定英の家督を継承し松山藩主になったのは、長男の家系である松平定喬家一族であったことが伺えます。

「九代目、松平定功の歴史」の続きを読む…