九代目、松平定功の歴史

東雲神社の写真です。クリックすると拡大します。

九代目藩主、松平定功

 

松平定喬の後、宝歴13年(1763年)に9代目の松山藩主になったのは、松平 定功(まつだいら さだかつ)(さだなり)でした。

定功は、7代目松山藩主松平定英の二男です。

父である、定英の後を、長男と次男が順番に継いだ事になります。

そして、定功が松山藩主になるとき、兄の松平定喬の養嗣となっています。

このことから、7代目松山藩主松平定英の家督を継承し松山藩主になったのは、長男の家系である松平定喬家一族であったことが伺えます。

 

松山城、本丸本壇一階の写真です。クリックすると拡大します。

九代目藩主、松平定功

せっかく松山藩の9代目藩主になった定功ですが、藩主を務めたという期間では治封たったの3年という、松山藩の歴史上最も短い期間の藩主となってしまいました。

兄の松平定喬の養嗣となり遺領松山藩15万石を継承し、さあこらからという3年後の明和2年(1765年)2月10日、発病します。

即日、従兄弟の松山新田藩主・松平定静を養嗣とします。

そして、翌日危篤に陥り江戸松山藩邸愛宕下上屋敷にて卒去しました。

享年33歳という若さです。

定功の藩主時代の松山入りはわずか2回でした。

遺骸は江戸三田済海寺に葬られましたが、遺髪が松山古町大林寺へ送られ法要が営まれたようです。

あっという間に、たった3年間という松山藩主松平定功の時代は終わりました。

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