『太閤記』(たいこうき)に書かれた加藤嘉明の歴史
加藤嘉明の若年時代の事は、『太閤記』(豊臣秀吉の生涯を綴った伝記)に書かれてあるそうです。
少年期の加藤嘉明の歴史
加藤嘉明の生い立ちは、加藤嘉明の生い立ちで簡単に説明しました。
少年期の加藤嘉明は、姓は岸三之丞で、幼名を孫六、実名を茂勝と呼ばれていました。
近江へ逃れた父、教明は羽柴秀吉に仕えていたと言われているそうですが、孫六が12歳の時に父、教明が死去し、その頃より孫六は馬喰の下僕となっていたようです。
少年期の孫六は、機敏にして剛胆、今でいう運動能力に優れていたそうです。
また、馬喰の下僕として、近江の街道筋で馬商人に奉公していたせいか、特に馬を好み乗馬がすこぶる巧みであったとされています。
秀吉に認められた、少年期の加藤嘉明の歴史
孫六が、江州長浜(現:滋賀県長浜市)で秀吉の家臣であった加藤景泰に馬を売りに行ったところ、たまたま城中に暴れ馬がおり、家中に誰も馬を扱える者がいなかったそうです。
そこで、加藤景泰が、たまたま居合わせた孫六に乗馬を命じたところ、孫六は、暴れ馬を意のままに操って見せたそうです。
その乗馬の見事さに感嘆した加藤景泰は、翌日、孫六を伴い羽柴秀吉に謁見し、事の次第を話して秀吉に推挙し、秀吉は加藤景泰の意を受け入れ、孫六を秀吉の養子である秀勝の小姓としたそうであります。
なお、この時、秀吉の命により、孫六を加藤景泰の養子とし、加藤姓を名乗らせたため、岸三之丞孫六、茂勝は、加藤嘉明と名を改めました。
天正3年(1575年)嘉明13歳の時と言われています。
「加藤嘉明」の誕生です。