松山城をめぐる歴史の流れ
松山城をめぐる歴史
松山城がどのような歴史を過ごしてきたのかは、城主の家系毎に説明されることが多いみたいです。
では、どのような分け方で、その歴史が説明されているのでしょうか。
松山城をめぐる城主の家系
松山城をめぐる歴史の流れをみてみると、まずは、城主の家系からすれば、大きくは次の3つの時期に大別されます。
1.始めて松山の地に城郭と新城下町を創建した、加藤嘉明と、その自らの経営による27年間の治封期間
2.その後を継いで松山城主となった、蒲生忠知と、同家の断絶による僅か7年間の短い治封期間
3.それに代わって松山に来た松平定行と、引き続き藩主の地位にあった松平家の統治による、明治維新に至るまでの、235年にわたる長い治封期間
この、3つの家系により、松山城は、歴史を重ねて来ました。
それぞれの城主毎に、様々なエピソードがあるみたいです。
松山城をめぐるエピソード
加藤嘉明には、松山城の創建に入る手前の時期より~松山城の完成直前にほかの地域に転封されるまでの間の、様々なエピソードがあります。
蒲生忠知には、予期せぬ事態により、僅か7年間という短い期間の統治しか出来なかったという、少し変わったエピソードがあります。
そして、松平家には、235年の長きにわたり松山城を治封し、最後には、大正時代に松山城を松山市に寄付するまでの間の、かなり長い期間にわたるエピソードがあります。
松山城をめぐる松平氏に関わる多々のエピソード
特に、最も長きに渡る統治を行った松平氏に関わる史実は、
・創建当時、五層の天守閣であったものを、三層に改築した事
・松山藩の藩政の基礎を確立した事
・封建体制が次第にゆるんできたせいで、藩が財政の危機を迎えた事
・松山城天守閣に落雷があり、本丸の主要部を焼失した事
・焼失後すぐに城郭復興の計画を立てたのに財政難のため着工までに37年、完成までに71年もかかった事
・明治維新や版籍奉還を経て廃藩置県後に松山城を松山市に払い下げした事
などなどのエピソードがあります。
そのような、さまざまな歴史上のエピソードを、「松山城の歴史」・・・に綴ってゆきたいと思います。
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2011/12/22 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:松山城の歴史
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