松山城が築造された時期の歴史
松山城は、江戸時代の始まり頃の時期に、築造が開始されました。
通常、江戸時代の始まりは、徳川家康が江戸幕府を成立させた、1603年(慶長8年)とされています。
そして、その3年前の1600年(慶長5年)に、戦闘が1日で終わってしまったという天下分け目の戦い、「関が原の戦」がありました。
松山城の築造を開始したのは、この「関が原の戦」で徳川家康軍に従軍し、その戦の功をみとめられて20万石となった、加藤 嘉明(かとうよしあき)でした。
加藤 嘉明は、1602年(慶長7年)に、当時、伊予地方を治めるための城であった伊予正木城(今の愛媛県松前町)から、道後平野の中央にあった勝山(今の松山城)に城郭を移す事にし、松山城の築城工事に着手しました。
松山城の築城開始は、1602年(慶長7年)とされています。
今から、400年くらい前です。
松山城の築城にかかった期間の歴史
築城が一応の完成をみたのは、1627年(寛永4年)です。
なんと、完成までに、25年の歳月を要しています。
そして、悲しいことに、加藤 嘉明は、その完成の時には、もう松山にいませんでした。
丁度、完成する年である、1627年(寛永4年)の2月に出羽国(今の山形県)に転封(てんぽう)されたのです。
当時は、転封が幾度となく行われており、史料上は、「国替(くにがえ)」、「所替(ところがえ)」などともよばれています。
これは、当時、江戸幕府が諸大名に対して有していた処分権・統制権のひとつでした。
今で言えば、総理大臣や内閣が、都道府県知事を任命したり、移籍させたりする権利をもっていたのです。
悲しいかな、加藤 嘉明は、完成直前に、いやがらせのように・・・転封されてしまったのです。
そして、松山城の完成に立ち会ったのは、かわりに伊予松山藩主として出羽国から入国した蒲生 忠知(がもう ただとも)でした。
松山城は、25年の歳月をかけて加藤 嘉明が築城を行ったが、落成式は蒲生 忠知が執り行なったという感じです。


