完成当時の松山城鳥瞰図
完成当時の松山城
完成当時の松山城はどのようなたたずまいだったのでしょうか。
ここに、史実をもとに作成られた鳥瞰図があったので掲載します。
加藤嘉明が計画した松山城
松山城の築城は慶長7年(1602年)の1月15日、普請奉行は足立重信、下手代奉行(助手)は山下八兵衛にて行われました。
まず、本丸・二ノ丸・三ノ丸の位置が決められました。
そして、山頂の二つの峰を削って地ならしをし、そこに本丸を築き、本丸の西麓のやや高い平坦地に、藩主の邸宅としての二ノ丸を築きました。
三ノ丸は、そのさらに西南麓の平地に決定され、周りに堀をめぐらせました。
本丸および山麓
本丸内の西側には本丸本壇を設け、五層六重の天守を築き、小天守・隅櫓を配する連立天守閣としました。
本丸の大手(正門である筒井門側)には、高さ17mを超える石垣を備え、搦手(裏門である乾櫓側)は高さ7mの石垣と火除け門のほか、三か所の櫓を備え、北郭(くるわ)とも通じた出郭でした。
また、本丸のある勝山の東山麓には出城の東郭を備え、北山麓には出城の北郭を備えており、それぞれを重臣の屋敷に充てて城郭の防備を固めていました。
出典:鳥瞰図、新版 名城を歩く4 伊予松山城「PHP研究所」より
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2012/01/04 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:松山城の歴史
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