イメージ画像

松山城石垣の石の産地

松山城の石垣の写真です。クリックすると拡大します。

松山城に来られた多くの方が興味を示す立派な石垣

松山城の本丸に近ずいてきて、最初に目にするのが立派な石垣です。

時折、石垣を見上げながら、「どこから持ってきたのかなー?などと言っている方もいらっしゃいます。」

 

 

書籍などに記載のある内容

文献によれば、松山城の築城は、1602年に着手されて築城には25~26年の歳月がかかったらしいとされています。

それによると、完成は1627~8年頃であろうと思われます。

その工事の間、石垣等に使用した石は、築城開始と同時期に廃城となった松前城や、湯築城などで使用していたものを運ばれたとされているらしいですが、それでも不足したと考えられています。

その不足分については、付近の山地から産出したものを多く利用したのであろうと考えられているようです。
 

 

 

松山城の石垣の写真です。クリックすると拡大します。

石の産地は何処だったのでしょうか?

ここで、位置関係でみると、松山城と松前城の距離は西方向に直線距離で約9km、湯築城までは東方向に約2kmです。
これであれば、運搬も多分楽であったでしょう。

愛媛県であれば、「瀬戸内海の石産地」としては、現時点の採石場であれば、今治市、しまなみ海道沿いの大島の石が有名です。
松山城からの距離は、北東方向に直線距離で約45kmあり、さらに海路となります。

また、「付近の山地から産出したもの」としては、現在でも大きな砕石採取場が残っている付近の山地として、松山城から東方向に直線距離で約13kmのところの東温市内に、山之内採石場というのがあります。
ここは、今でも石材を切り出しています。

現在でも石が採取されている場所を考えると、不足分については、この、どちらかより採取されたものではないでしょうか?

私の個人的な意見ですが・・・。
 

 

 

松山城の石垣の写真です。クリックすると拡大します。

さらに・・・、個人的な意見ですが・・・

私の知識では、この程度までですが、まずは、松前城や、湯築城などで使用していたものが使われたのではないかと考えます。

そして、不足分については、現在でも松山平野内にて採石場があるということは、当時も何箇所かは採石場があったのではないかと考えられるので、遠い海路の「瀬戸内海(島)の石産地」ではなく、松山周辺の山から産出したものを使用したのではないかと思います。

尚、愛媛大学の方が、「松山城の石垣」を研究したレポートも出ていましたので、ご確認ください。

http://www.ehime-u.ac.jp/upload/temp/block_29781_01.pdf

どなたか、「松山城の石垣」についてお詳しい方がいらっしゃいましたら、ご意見をお願い致します。(知識不足の管理人より)





タグ

トラックバック&コメント

コメントをどうぞ

人気記事

最新情報

このページの先頭へ