イメージ画像

フランス風洋館「萬翠荘」

萬翠荘の写真です。クリックすると拡大します。

明治ロマンにひたれる萬翠荘

松山城登城ロープウェイ乗り場から700mくらいの所に、フランス風洋館の「萬翠荘」があります。

松山城ロープウェイ街を、ロープウェイ乗り場から下り方向に300mくらい下り、電車通りの大きな信号を右へ曲がり、100mほど歩いて、案内看板を右へ曲がれば、もう萬翠荘の入口の門が見えます。

この萬翠荘の入口である門を入ったところに、坂の上の雲ミュージアムもあります。

松山で生まれ育った秋山兄弟を題材にした、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の内容などを中心に盛り込みながら、江戸時代末期から~明治~大正にかけて、『坂の上の雲』が表そうとした歴史の流れを体感できる場所として作られた、坂の上の雲ミュージアムです。

その前を通り、緩やかな坂を100mくらい登れば、そこが「萬翠荘」です。

 

萬翠荘入口の門の写真です。クリックすると拡大します。

日本が誇るフランス風洋館

萬翠荘は、大正11年(1922年)に、久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。

久松 定謨を旧姓で言い換えれば、松平定謨です。

松山藩主でいえば16代目の伊予松山藩主藩主であった松平定昭が、明治5年(1872年)に逝去し、その際に遺言によって家督を相続したのが久松 定謨です。

萬翠荘は、陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物で、当時は最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方が松山に来た際には、必ず立ち寄ったところです。

また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、その完成を急がせたとも言われています。

萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となっています。

 

萬翠荘の写真です。クリックすると拡大します。

萬翠荘よろず情報

久松定謨伯爵は、フランス生活が長かったことからフランスへの熱い思いを抱き続けていたそうであります。

松山城の山麓に建てる別邸はその思いをかたちとしたものです。

建築にあたっては建設当時、新進気鋭で優れた建物を数多く手がけていた木子七郎という建築家に白羽の矢を立てました。

伯爵の思いを十分に受け止めた木子七郎は西欧の建築をつぶさに学ぼうと数ヶ月間ヨーロッパを遍歴までしたそうです。

そして、木子七郎は西欧建築でありながら最高のものを造ろうと決意し、デザイン、構造、調度、装飾など全てを第一級品で設えたそうです。

そのため、萬翠荘はヨーロッパの人も驚くほどのフランス風の美しい建造物となりました。

萬翠荘の敷地は、松山藩の家老屋敷の跡地であり、夏目漱石が明治28年、松山中学の英語の教師として赴任した折に下宿をしていた「愛松邸」のあったところです。

現在の敷地面積は、9,535.05m²(含山林)(2,884坪)です。

萬翠荘の建設費は、大正11年に建てられ、約30万円といわれています。

萬翠荘入り口前の大きな電車通り(一番町通り)を300mほど西側に向かって歩くと、愛媛県庁本館がありますが、ここが昭和4年に約100万円で建設されました。

その7~8年前に、はるかに小規模の分館に30万円を要したということは、いかにその建設費が巨費であったかということがわかります。

さすが、お殿様の子孫ですねー。

 

萬翠荘の写真です。クリックすると拡大します。

萬翠荘の施設案内

● 開館時間 9:00~18:00
※ただし、イベントにより変更となる場合があります。

● 休館日 月曜日(祝日は開館いたします)
※時折変更が有ります、事前に電話確認が必要です。

● 駐車場 完備(約20台)
※なるべく公共交通機関を利用したほうがいいです、入れない時がたまにあります。
※土日・祝日は、歩行者が多く危険なため、館関係車輌・団体者の営業車輌・館利用者(開催者)・身障者・高齢者の車輌以外は車輌通行制限を行っています。

● 観覧料 外観・1階は、無料で見れます。
2階は、通常企画展を開催しておりますので次の観覧料金が必要です。
大人300円 小人100円
【団体割引(20名様以上)】お一人様240円
※特別イベントへの入場は別途料金が必要です。

● 所在地 〒790-0001 愛媛県松山市一番町3-3-7
● 電話番号 089-921-3711
● FAX番号 089-921-2400

 

萬翠荘の場所と周辺の地図

萬翠荘の場所





タグ

トラックバック&コメント

コメントをどうぞ

人気記事

最新情報

このページの先頭へ